にちにちこれこうにち

〜日々是好日〜今日は良き日だ〜

奈良に行ってきた

なんかもう随分と昔の話になってしまいそうであれなんだけど奈良に行ってきました。
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その後にすぐ京都にも行っちゃって

もう何がなんだかですよ。

とりあえずごちゃごちゃにだけれども写真を貼っておこうかと思います。


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なぜか奈良にはセーラー服のコスプレさんを見かけるのです。

京都では見かけたことはありません。

なんかあるんですかね?

 

8月15日に思ったこと その3


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軍人恩給
僕の父親はあと数週間だか数日だかの旧日本軍の軍籍が足らずに軍人恩給をもらえなかった。
もっともそんなことを申請したのはもういい歳になってからのことでそれまでは一生懸命に働いてきた人だ。
結局、国からは金盃をもらって「はい、おしまい」になってしまった。
親父は戦犯になってシンガポールに抑留されてシンガポールから日本へ帰る最後の船、これを逃すともう日本に行く船はない、という状況でなんとか乗り込んで日本に帰ってきた。
当然田舎ではもう僕の親父は死んだものと思っていたところにひょっこりと帰ってきたものだからかなりびっくりされということだ。
日本に帰ってきてからもしばらくは家から何キロかの範囲から出てはいけないということになっていて、時々ちゃんとそこにいるかどうかを確認しに兵隊がやってきていたそうだ。
親父は陸軍の通信隊にいて暗号文の解読やらなんやらをやっていたから戦勝国からすれば重要な機密事項に触れる立場にいたことが有罪の要素だったようだ。
もっとも決定的なのは親父は志願兵だった、ということか。
それも結局は貧農の家に生まれて食い扶持を得るために色々と職業と土地を転々とした末のことではあるのだけども志願兵は志願兵ということなのだろう。
どこでどうやって入隊したのかは聞いた僕がもう忘れてしまったのだがそれ以前には神戸で将校クラブのボーイとかもしていたがそのコネでもないようだ。
海軍の将校クラブだっていうから。
京都でエンタクの客引きもやっていたとか。
とにかく関西のあちこちで働いていたようなのだがその当時のことはとうとう話さずじまいになってしまった。
土地土地での一括招集ではないので同郷の人はいなかったようだ。
九州あたりの出身の人達と一緒で中隊長は映画の録音技師だった人だ。
入隊検査では頭に上った血が戻らないので飛行機乗りには適さないということで通信隊に回されたそうだ。
そのおかげでたぶん僕が存在しているのだと思う。

8月15日に思ったこと その2


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大村益次郎
大河ドラマで益次郎を演じた中村梅之助の印象が強烈でいまでもそれを想像してしまう。
靖国神社の沿道。
子供の頃、この時期になると一家で靖国神社にお参りに行くのだがこの沿道を歩くのが嫌だった。
この沿道の両脇には沢山の傷痍軍人と言われる人たちが真っ白な装束で座ったりしてハーモニカやアコーディオンを奏でてお金を物乞い(といっていいのだろうか)していた。
演奏しているその傍らには脱いだ金属の鈍い光を放つ義足やアコーディオンを支える義手の金属の指先がみえ、その光景が僕はものすごく怖くていやだったのだ。

8月15日に思ったこと その1


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靖国神社
うちの親父の一番上の兄、僕にとってはおじさんが祀られている。
陸軍の斥候兵として馬に乗っていたという。
戦争でも初期、日中戦争と言われていた頃に斥候に出てて狙撃されたか襲撃されたかで亡くなったと聞かされている。
だから僕はそのおじさんは田舎のうちに飾られている写真でしか知らない。
そんなわけで家では靖国神社に参拝に行くということは当たり前のことだった。
うちの一族では戦争に行ったのは僕の親父とそのおじさんだけだ。

田町・サンギュリエのムルギカレー


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今から三十数年前、銀座三原橋交差点のそばにあるナイルレストランに連れて行かれて初めてムルギランチなるものを食べた。
あの頃は本場インドのカレーなのだからさぞかしすごい辛さのセットなのだろうと覚悟していたらそんなに辛くなくて拍子抜けした記憶がある。
出てきたプレートを店員が肉をほぐしてよく混ぜて食べろ、といわれたことも覚えている。
というか覚悟した辛さに拍子抜けしたのと店員の混ぜる、混ぜるしか記憶にない。

あ、あとパイプのテーブル。
その後池袋だかのデパートの中にナイルレストランができてそこでもムルギランチを食べた。
やはり辛くなかった。
また店員によく混ぜて食べろ、といわれた。
なのでムルギランチの記憶は「混ぜろ」である。
お店の店先にあるメニューを見てそんな記憶がよみがえってランチタイムにいつか食べてやろうと一人盛り上がっていたのだ。
そもそも「ムルギ」ってなんだ?
調べてみた。
「ムルギ」とはヒンディー語で「鶏肉」なんだそうだ。
なんのことはないチキンカレーじゃん!
というのは早とちりというもんだ。
ももあたりの骨付き肉がライスの上にポン、と乗っているのだ。
さっそくそれをフォークとスプーンで骨をのけて肉を細かくする。
柔らかいのですぐに骨も取れて肉もバラバラにすることができる。
あの頃の記憶。マゼロ、マゼロ。
といってもこっちは自分でバラさないとダメだけど。
見た目は非常にシンプル。
チキンとルーがご飯にかかっているだけである。
しかもルーはシャバシャバでこれも良い。
シャバシャバカレーが好きなのである。
夢中になって食べてしまったので味の感想とか、どうこうなんてものはまったく無い。
でも美味しかった。
ただまた食べたい!と強く思っていることは確かである。
それだけで充分なんじゃないかな。

カメラ・オブスキュラ



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カメラ・オブスキュラ
またはカメラ・オブスクラ
ラテン語で「暗い部屋」の意味
2019年の京都グラフィーの会場になっているところで撮った一枚。
その時は暗い部屋の白い壁にただ光が差し込んでいるだけの景色だった。
あとからよくよく見てみると建物の外の景色が投影されている。
まさしくこれはカメラ・オブスキュラだった。
GOOGLEスマホ、Pixel 3 で夜景モードにして撮影したおかげでハイライトが飛ばされずに記録されたのだと思う。
この写真以後、面白くなってなんでもない時でも夜景モードにして写真を撮っている。
なんか微妙にヘンというかチガウ世界がちょびっと現われて面白いのである。

◇カンコウノシヤシン◇
そうだった!京都に行っていた
 ヨソモノノマナザシ
  京都グラフィー